2025/07/17 07:30

本当に達観して執着が無い人は、「どちらでも良い」といいます。

どの様な状況、環境であれ受け入れる準備があるので感情にも身体にも反応が出ません。


面倒くさいくて「どちらでも良い」は曖昧にしておくと逃げ道は作れますが、本来の自分の意識はその選択に納得していいなので、何処かで「またこのパターンか」となります。


中庸は考えて成るものではなく、積み重ねた先に自然とそう成っているものだと思います